浦和地方裁判所 昭和56年(わ)70号
主文
被告人三名を懲役四月に各処する。
被告人三名に対し、この裁判確定の日から一年間、それぞれその刑の執行を猶予する。
訴訟費用は、全部被告人三名の連帯負担とする。
理由
(被告人らの略歴及び犯行に至る経緯)
被告人甲野一郎は、昭和四四年四月に埼玉県越谷市役所職員となり、同市の職員で組織する自治労埼玉県本部越谷市職員組合(以下、組合という。)に加入して、同組合青年婦人部役員、執行委員等を経て、同五二年四月ころから同組合執行副委員長の地位にあったもの、被告人乙山二郎は、同四一年四月に同市役所職員となり、同組合に加入して、同組合青年婦人部役員、執行委員等を経て、同五三年四月ころから同組合書記長の地位にあったもの、被告人丙川三郎は、同四九年四月に同市役所職員となり、その後同組合に加入して、同五四年三月ころから同組合執行委員の地位にあったものである。
越谷市においては、昭和五二年一一月、島村慎市郎が市長となって以来、職員の人員合理化や職員給与体系の改訂等をめぐって、市当局と組合との間で対立が続いていたところ、同五五年四月、いわゆる春闘にあたり、組合は、市当局に対して大幅賃上げ・賃金差別の撤廃・合理化反対等に関する要求書を提出し、爾来数回にわたって団体交渉を重ねていたが、同年一一月四日、従前からの闘争手段として、同市庁舎内の通路等に「市長は団交に出てこい」「市長は協定書を守り6短廃止をするな」「我々はストライキで斗うぞ」「し尿たれ流しにつながる第二東部清掃工場の民間委託反対」「環境破壊を許すな」などと印刷されたビラ(縦約三六センチメートル、横約二五・五センチメートルのものと縦約三六センチメートル、横約一二・五センチメートルのもの)を裏面に糊付けして多数貼付した。島村市長は、右のビラ貼付がもとより無許可のものであり、市民からの苦情もあったことから、同月一二日、庁舎管理権に基づき、組合に対してその撤去方を要求したところ、組合がこれに応じなかったため、同月一三日、各部課所長ら管理職に対し、「庁舎秩序の維持について」と題する書面をもって、「一一月四日宵から一一月五日未明にかけて庁舎内外に無許可で組合のビラが多数貼布され、庁舎の正常な管理運営が妨げられていることは極めて遺憾である。ついては、庁舎秩序の維持をはかるため、明朝八時三〇分までに必ず撤去して下さい。なお、今後このように庁舎内外に無許可である組合のビラ等が貼布された場合は、早朝出勤のうえ、午前八時三〇分までに必ず撤去して下さい。」との職務命令を発した。各部課長らは、右命令に基づき、同月一四日前記のビラを撤去したが、その後間もなく再び同種のビラが庁舎内に多数貼付されたため、さらにこれも撤去したところ、同月二四日ころ、組合は、またまた前同様のビラ約二〇〇枚ないし二五〇枚を庁舎一階の保健衛生課、市民課、保険年金課等の各カウンターの腰板、周りのガラス及び中庭の三面窓ガラスに貼付した。
島村市長は、同月二七日午後三時ころ、庁舎一階の市民生活部前のカウンターや中庭窓ガラス等に前記のビラが貼付されたままであるのを通りがかりに見て、直ちに市民生活部長矢島茂重を市長室に呼び、同人に対して翌二八日午前八時三〇分までに前記のビラを撤去するよう命じ、同時に、市長室で執務中の秘書課長深堀武夫に対し、右と同じ内容の命令を当時たまたま自室にいなかった企画部財務課長須賀清光に後刻伝えておくよう指示したうえ、深堀秘書課長自身も右両名の作業を手伝って前記のビラを撤去すべき旨命じた。
深堀秘書課長は、右のように島村市長からビラ撤去を命じられたあと、その日夕刻から行われた同僚の阿部職員課長の結婚披露宴に右須賀財務課長と共に出席し、宴会場で同人に前記市長命令を伝え、同席していた矢島市民生活部長と打合わせをしたところ、同人の希望により当日中に作業を終えることとなり、披露宴の終了後、一旦職場に戻って着替えをしたうえ、午後八時三〇分ころから右両名と協力して前記ビラの撤去作業を始めた。
一方、被告人三名を含む組合員約三〇名は、同日午前中から市庁舎五階会議室において行われていた市当局との団体交渉に参加していた。
(罪となる事実)
被告人三名は、昭和五五年一一月二七日午後九時すぎころ、前記の団体交渉が漸く妥結する見通しとなり休憩に入ったため、他の組合員らと共に、翌日に予定されていたストライキの中止決定を在宅の組合員に連絡すべく、越谷市越ケ谷四丁目二番一号所在の前記越谷市役所庁舎五階会議室から階下へ向かい、同日午後九時一〇分ころ、同庁舎一階階段付近に到った際、同階市民課前ロビーの中庭窓ガラス北側付近で前記のようにビラを撤去する職務に従事していた深堀武夫秘書課長(当三九年)を認めるや、同人の組合に対する従前からの態度に憤懣を抱いていたこともあって、激昂の余り、同人の傍に駆け寄り、順次その場に集ってきた組合員十数名と暗黙のうちに意思を相通じて共謀のうえ、同日午後九時五〇分ころまでの間、同所付近において、右深堀秘書課長に対し、数名の組合員とこもごも、「何やっているんだ」「なんでビラをはがすんだ」「組合の財産をなんではがすんだ」などと怒鳴りながら、同人に体をぶつけたり、同人を取り囲んで詰め寄り、肩や胸を押し付けて小突いたり、膝で同人の脇腹を蹴り上げたり、その胸倉をつかんで前後にゆさぶるなどの暴行を加え、もって同人の前記職務の執行を妨害し、その際、右暴行により、同人に対し、加療約二か月間を要する右第九肋骨亀裂骨折の傷害を負わせたものである。
(証拠の標目)…略
(弁護人の主張に対する判断)
弁護人は、本件公務執行妨害罪の成立を争い、その理由を種々の点から縷縷主張するので、これらについて以下のとおり判断する。
一 本件に刑法九五条一項を適用することは憲法一四条に違反し許されない旨の主張について
所論は、要するに、刑法九五条一項はその保護法益を公務員ではなく公務自体であると限定的に解することにより合憲とされているのであって、これを適用する場合になんら合理的な理由がないのに公務員自身を保護することになれば憲法一四条に違反し許されないものと解すべきであるところ、本件は越谷市として民間の清掃会社の従業員に行わせるのが正常な行政運営である筈のビラ撤去作業を深堀秘書課長が行っていたものであって、本件に刑法九五条一項を適用するならば、公務員たる深堀秘書課長自身を合理的理由なく不当に保護することになり、憲法一四条に違反し許されない、というのである。
しかし、公務執行妨害罪が公務の適正な執行を保護法益とするものであることは所論のとおりであるけれども、本件のようなビラ撤去作業を民間の清掃会社の従業員に行わせるのが越谷市の正常な行政運営であるとする点は独自の見解であり、前記認定の事実関係に基づき本件を公務執行妨害罪に問擬することが憲法一四条に違反するものでないことは多言を要しないところである。
二 刑法九五条一項の「公務員の職務」には非権力的・現業的公務は含まれない旨の主張について
所論は、要するに、公務執行妨害罪によって保護されるのは公務一般ではなく、権力的・強制的公務に限られるものと解すべきであるところ、深堀秘書課長の本件ビラ撤去作業はこれに該当しないことが明らかであるから、右ビラ撤去作業を妨げたとしても、公務執行妨害罪は成立しない、というのである。
しかし、刑法九五条一項にいう「公務員の職務」には、ひろく公務員が取り扱う各種各様の事務のすべてが含まれるものと解するのが相当であることは累次の判例(最高裁判所昭和五三年六月二九日第一小法廷判決・刑集三二巻四号八一六頁、同裁判所昭和五五年一〇月二七日第一小法廷決定・刑集三四巻五号三二二頁等参照)の趣旨に照らして明らかであるところ、弁護人引用判例の補足意見及び反対意見は、いずれも本件とは異なる事実関係に関するものであって、本件に適切でなく、元来本件ビラ撤去作業のごとき職務は、その性格上、これを非権力的・現業的公務と目することはできないものと考えられるので、弁護人の右主張は理由がない。
三 深堀秘書課長の本件ビラ撤去作業は、公務の執行として適法性を有しない旨の主張について
所論は、要するに、公務執行妨害罪によって保護される公務の執行は、適法なものに限られると解すべきであるところ、深堀秘書課長の本件ビラ撤去作業は、同人がこれを行うについて抽象的職務権限も具体的職務権限も有しなかったばかりでなく、同人は当時飲酒酩酊していたのであるから、公務執行妨害罪によって保護されるべきではない、というのである。
しかし、深堀秘書課長が本件ビラ撤去作業に当たって抽象的職務権限及び具体的職務権限のいずれもこれを付与されていたものであることは、前記認定事実に徴して明らかであるところ、関係証拠によれば、同人が当夜市長も出席した同僚の結婚披露宴で若干の祝い酒を飲んでいたことは所論指摘のとおりであるけれども、その飲酒量は酩酊する程のものではなく、本件ビラ撤去作業を行うのに全く影響がなかったものと認められるので、深堀秘書課長の本件職務の執行についてその適法性を疑わしめる理由とはならない。したがって、右主張も採用できない。
四 本件は労使紛争の過程において発生した事件であるから、公務執行妨害罪を適用すべきでないばかりでなく、被告人らの所為が社会的相当性の認められる範囲内のものである旨の主張について
所論は、要するに、深堀秘書課長の本件ビラ撤去作業は、組合の闘争手段としてのビラ貼付に対する使用者側の嫌がらせ的・挑発的対抗手段として行われたものであり、被告人らの本件所為はこれに対する抗議として為されたものであるところ、労使関係は本質的に対等関係になければならないものであるから、本件を公務執行妨害罪に問擬して使用者側を一方的に保護すべきではないし、越谷市における従前の労使関係に照らし、組合活動あるいは労働運動の一環として行われた被告人らの本件所為は社会的相当性の認められる範囲内のものとして処罰の対象とはならない、というのである。
そこで検討してみるに、公務執行妨害罪が労使紛争の過程において発生した事件にも適用されることのあるのは判例(最高裁判所昭和五三年五月二二日第一小法廷決定・刑集三二巻三号四二七頁等参照)に徴して明らかであるところ、弁護人指摘の点を考慮してみても、本件を公務執行妨害罪に問擬することの妨げとはならないばかりでなく、前記認定のような本件に至る経緯及び本件犯行の動機・態様・結果その他諸般の事情に照らして、被告人らの所為が社会的相当性の認められる範囲内のものとして罪責を免れ、あるいはこれに刑罰を科することができないものであるとはとうてい考えられない。
以上のとおり、被告人らの本件所為が公務執行妨害罪を構成するものであることは明らかであって、弁護人指摘の爾余の点を考慮してみても、右の判断を左右するものではない。
(公訴棄却の申立に対する判断)
弁護人は、本件は検察官が組合活動を弾圧する目的で公訴権を濫用して起訴したものであるから、これを棄却すべきである旨申し立てるのであるが、検察官の裁量権の逸脱が公訴の提起を無効ならしめる場合のありうることは理論上否定しがたいところであるとしても、本件審理の結果に徴し、被告人三名に対する公訴の提起が弁護人指摘のような検察官の不当な意図のもとにその裁量権を逸脱してなされたものであるとは認められないので、公訴棄却の申立は理由がない。
(法令の適用)
被告人三名の判示各所為のうち、各公務執行妨害の点はいずれも刑法六〇条、九五条一項に、各傷害の点はいずれも同法六〇条、二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号にそれぞれ該当するところ、右の各公務執行妨害と各傷害は、それぞれ一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前後、一〇条により、いずれも一罪として重い各傷害罪について定めた懲役刑で処断することとし、その所定刑期の範囲内で被告人三名をそれぞれ懲役四月に処し、後記の情状により同法二五条一項を適用して、被告人三名に対し、この裁判確定の日から一年間それぞれその刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条を適用して全部これを被告人三名に連帯して負担させることとする。
(量刑の事情)
本件は、労使の対立・折衝の過程でその周辺において偶発的に発生した事案であるが、検察官主張のとおり、本件ビラ貼付自体の違法性、犯行の態様及び結果等にかんがみれば、被告人らの刑事責任は軽視を許さないものといわなければならない。
しかしながら、本件ビラ撤去に関する市長命令の内容は、前記認定のとおり、必ずしも当夜中に実施すべきことを予定していたものではなく、深堀秘書課長においても右の趣旨を了知していたのみならず、結婚披露宴の会場に担当者の新井総務部長から連絡を受けて間もなく団体交渉が妥結する見通しであることを承知していたのに、たまたま矢島市民生活部長の意見によって最悪の時間帯に作業が実施されたため、このことがより一層被告人ら組合員を刺激して犯行に走らせたものと考えられること、深堀秘書課長の被告人ら組合員に対する当夜の対応の仕方には些か意識の過剰がみられ、これが従前からの盗聴事件(同課長が組合と助役との折衝を隣室で盗聴していたところを組合員に発見され、きびしく糾弾された事件)などに絡む組合員らとの深刻な個人的・感情的対立関係と相俟って、殊更被告人らを激昂させたものであり、あまつさえ揉み合い中に酒の臭のしたことがこれに拍車をかけたものと考えられること、深堀秘書課長らの本件ビラ撤去作業は、被告人ら組合員に発見されたときには、既に完了真際で、間もなく床に散乱しているビラ破片の片付けに入る段階に至っていたものと認められること、深堀秘書課長の受けた傷害は、医師の診断による加療期間こそ短いとはいえないけれども、痛みのために休暇をとったのは午前か午後か数回程度であって、担当医師らの証言に徴しても、その加療期間から受ける印象ほどには重いものでないと考えられること、本件は、前段認定のとおり、被告人三名を含む組合員十数名による共同犯行であって、検察官も主張するように、被告人三名のほかにも実行行為に及んだことの明らかな組合員のいることが関係証拠により十分に窺える状況であるところ、起訴されたのは被告人三名のみにとどまっていること、被告人三名には、いずれも前科のないことなどの諸点にかんがみると、検察官の指摘する被告人らの本件に対して反省を示さない態度等を考慮してみても、被告人三名に対しては、主文掲記の刑に処したうえ、判決確定の日からいずれも一年間その刑の執行を猶予するのが相当である。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 三好清一 裁判官太田雅利及び同若林辰繁は転補につき、署名押印することができない。裁判長裁判官 三好清一)